渋谷の歴史
渋谷の歴史
東横線が開通したのは1927年(昭和2年)の8月28日。多摩川(当時は丸子多摩川)の間で開通したのが最初です。開通時の東横線渋谷駅は、幅8メートルの2線島式ホーム1面のみで、玉川電気鉄道天現寺線を架道橋で渡った1階に出改札所が設けられていました。
当時、渋谷につながる交通機関は、わずかに省線山手線と玉川電気鉄道、それに東京市電が乗り入れているのみ。同じターミナル駅の新宿駅と比べても輸送量、郊外私鉄についても大きな差がありました。
そんな折に東横線が開通。「渋谷~神奈川」間を直通で結ぶ動脈が完成し、都市間交通に大きく貢献しました。
その後も1938年(昭和13年)に東京高速鉄道線(現在の地下鉄銀座線)の開通、1934年(昭和9年)に東横百貨店建設、初代「忠犬ハチ公銅像」の建立、1941年(昭和16年)列車本数増加に伴う改良工事着手と、積極的な沿線開発を勧めていきます。これによりターミナルとしての機能は大幅に向上、乗客も急増していきました。
しかし、1945年(昭和20年)戦局の推移に伴い、運輸通信省から勧告を受け改良工事は中止。1949年(昭和24年)まで開発は凍結されました。
戦後になると、復興のきざしとともに、東京および近郊に地方からの移住者が集中、増加しました。それに伴って、渋谷も輸送力が復旧、利用者が急増していきます。
1948年(昭和23年)に再開を申請し、翌年4月に工事が再開されました。
再開された改良工事では、渋谷川沿いに幅の広い高架ホーム新設、改札口から東横百貨店1階コンコースへ通じる階段を拡幅し、営団地下鉄銀座線への連絡階段の移設も同時に行われました。
1950年(昭和25年)8月に第一期工事を完了、着工から9年間を要しましたが、列車の発着がスムーズに行われるようになりました。並行して行われた東横線の軌条重量変更工事により、10年ぶりに東横線に急行列車が復活しました。
1951年(昭和26年)10月30日、改札口正面から1階コンコースへの乗降階段拡幅工事と、営団地下鉄銀座線への連絡階段が移設されました。改良工事は、第1期、第2期を合わせると、当時でも約1億600万円の費用がかかったそうです。
1964年(昭和39年)5月16日、かまぼこ型の屋根が特徴的な現在の東横線渋谷駅が竣工されました。
歴史に伴い変化していった東横線渋谷駅。人々に愛され、利用されてきた地上駅はその役目を終え、名残惜しまれながら引退しました。
形は変わっても、これからも渋谷の歴史を刻んで人々に利用されていくことだと思います。